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テレビというマスメディア

テレビというマスメディア_a0021542_6154443.jpg新潟で地震が起こったが、自分の印象としては阪神大震災の時ほど深刻な被害ってイメージがない。

では、何故なのかを考えると、自分自身があまり情報に触れてないからだと思う。

阪神大震災の時と比べて俺自身、テレビを観てる時間が少なくなったんだろう。新聞の地震に関する記事の見出しくらいは観るけど、やっぱり文章と映像では受ける印象が全然違う。

さて、色んなところで論じられてる話題なのかもしれないが、ここで本題のテレビにおける報道の話題である。

今回の地震が起きた2日後くらいに(正確な時期は忘れた)車に乗ったまま生き埋めになった一家の救出劇が放送されていた。俺はたまたまその時間テレビを観ていたんだけど、恐らくワイドショーの時間から夕方のニュースの時間まで特別番組的に各局流していたと思う。

俺はテレビというもの(特にワイドショー)に全く期待していないんだけれど、敢えて書いていきたい。

人が死んでるのにちょっと不謹慎かもしれないけど、世間でこの映像、このニュースに注目してた人間は何人いるんだろうか?

俺の捉え方では、土砂の下敷きになった一家も他の人と同様地震の被害者の一部でしかない。そして俺にとってその一家は身内でも何でもない。世間の多くの人たちも同じ立場だろう。

なのに何でテレビ局はこの映像を流し続けたんだろう?一家全員の無事を映して、脚色の無い感動物語に仕立て上げたかったのか?テレビっていう脚色だらけの世界に対するアンチテーゼにでもしたかったんだろうか?

では事実は?っていうと男の子は生きてたけど、母親と娘は死んでいた。一家無事救出っていう感動物語はそこにはなく、現実の厳しさのみがあった。テレビ局としては男の子が生きていただけでも感動物語の格好の獲物になるのかもしれないが。

テレビが流すものに必要性ってどこまであるの?って気がする。一般人が起きている時間、4~5チャンネルが放送されてればそれだけネタの需要もあるんだろう。なにかを流さなきゃいけないから。そしてそれを満たす為にどうでもいい事を流す必要もあるのかもしれない。そういうものの極みがワイドショーなんだろう。ワイドショーのコメンテーターやキャスターがま、私にとってはどうでもいいことなんですけどね。って言ったらすべて成り立たなくなるだろう。そういうコメンテーターを見てみたい気もするが。

そしてこういうものの為に犠牲になってる人も多いって事も事実だ。「カメラは捕らえた」的に親子の触れ合いだったり、対立や和解の瞬間だったりを演じさせられる、または素人が演じてしまう。「そっとしといてやれよ」って思うような事にも土足で立ち入る。例えば北朝鮮の拉致被害者の帰国後の生活とか、~家の5つ子の成長とか。それってどうなの?って事ばかりだ。新潟の件でも映像が流れてる事によるマイナスは大きいんじゃないだろうか?現場のレスキュー隊の人は気を遣わなくてもいいような事まで気を遣ってたんじゃないだろうか?

ここまで色んな事を書いてきたけど、俺のテレビに対する見方はプロレスに対する見方と共通する部分がある。「本物のごとく作られたものを一歩踏み込んでどう観るか?」って事に尽きる。ただ、プロレスはエンターテイメントであって、そういうものに期待してるんだけど、テレビってのはすべてにおいてそういうものを期待されてるんじゃないって事が違いだと思うけど。(バラエティーに関してはエンターテイメントかもしれないが)

「じゃあテレビ観なきゃいいじゃん」って言われればそれまでだけど。

じゃ、また。
by toproad3000 | 2004-11-17 06:04 | 世間


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