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運命の人?

考え方が女の子チックかもしれないが、女性と出会った時、この人が運命の人なんじゃないか?って想いを常に抱く。今までは全てその想いは「想い違い」に終わってきた訳だが。

野郎、男性ともそういう自分の人生を左右するような運命の出会いってのもしてるだろうし、今後することもあるだろうが、野郎、男性に対してはそういう気持ちはわかない。

一期一会って言葉がある。今は顔も知らない人が自分にとっての運命の人なのかもしれない。それがあまり面識のない相手なのかもしれない。今よく顔を知ってる人間に更に人生を動かされるのかもしれない。

今まで会って来た人間とも「運命の再会」ってのもあるのかもしれない。

じゃ、また。
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by toproad3000 | 2005-07-31 15:41 | 思考

夏休み

社会人の人はまだまだだけど、学生にとっては今の時期は夏休みだ。おれにとっても意識の上では夏休みって感じになってる。

一時期の迷いとかヘコみっていう時期は終わったんだけど、次に向けての動きっていうのはまだほとんど何もしていない。

来週から徐々に始動し始めようと思ってる。環境を変えて、仕事を始めれば何となくいいことがありそうな気がしてる。

動き出すといろいろな局面が出てくると思うけど、自分に芯を持って、前向きにいたいなあとは思う。

じゃ、また。
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by toproad3000 | 2005-07-30 14:21 | 思考

カードを切る

最近流れてるオダギリジョーの出てるカード会社の宣伝が好きだ。飛行機の中で外人のスチュワーデスを見て最初は「無理」の札を3枚持ってて、旅行先のレストランでそのスチュワーデスに偶然会ったら手持ちの札が「紳士的」「速攻」「無理」の3枚の札に変わる、そして「人生はカードの切り方だ」(だったと思う)っていうキャッチコピーが流れる。オダギリジョーだったら飛行機の時点で「勝負」とか、「前進」とかって札を持っててもおかしくなさそうだけど。

あることが起こった時の心理状態ってこんな感じだよなあって思う。相手が女性の時に限らずいろんな局面において。手持ちの札ってのは場面によって変わる。「理想」と「現実」だったり、「仕掛け」、「様子見」、「退却」だったり、「正義」と「悪」だったり、「協調」と「エゴ」だったり。そういう局面では2,3枚の札を持っててどれを切るかで展開も変わっていく。

重要な選択を迫られた時でも「何を切るか考えるカードゲーム」って考えればラクになるのかもしれない。

じゃ、また。
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by toproad3000 | 2005-07-29 12:04 | 世間

夏の思い出

今日はこれから友人と2人でに行って来る。非常に楽しみだ。

ただ、1点。その友人はひどく酔っ払うとボクシング仕込みのパンチを打ってくるっていう点がやっかいだ。足は酔拳の使い手みたいに千鳥足になるし。

それでも楽しみだ。

じゃ、また。
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by toproad3000 | 2005-07-28 10:42 | 出来事

競馬ファン宣言

少し前にコンビニに来る競馬ファンの客にこんな事を言われた。「俺は競馬で勝負してるけど、お前は競馬ファンなんだな」って。なぜこんな事を言われたかっていうと、俺が「ディープインパクトが3冠を取って、そのあと年末の有馬で古馬と対戦するところが見たいですね」って言ったから。秋の菊花賞に想いをはせる人は多いのかもしれないけど、年末まで考えてる人間は少ないのかもしれない。

競馬は財テクっていう人もいるかもしれないけれど、俺にとっての競馬は趣味だと思う。そりゃ馬券は当てるために買ってるけれど、レースを楽しむ1要素でもある。誰かがどこかで言ってたけど、サッカーや野球を観るための観戦料と同じような感覚で馬券を買ってるっていう部分もあるように思う。

競馬の楽しさって何?って言われると、もちろん強い馬同士のシビレるような叩き合いだったり、ジョッキーの名騎乗だったりもするのだけど、俺が一番おもしろいと思うのは予想をしてそれを披露しながら根拠を語ることだと思う。競馬を創ってる要素にはたくさんのものがあって、馬の状態、馬場状態、騎手、コース適性、レース展開、血統、その他もろもろの要素が絡み合ってる。その判断材料の中で自分なりの予想を組み立てる。

それが見事にハマるって事はほとんどない事なんだけど、ハズレたらハズレで自分の予想の盲点だったり、そのレースの回顧だったりをしてファン同士で話をする。先のレースの展望を語ったりする。それがまた楽しい。

やっぱり俺にとっての競馬は「勝負」ではなく「趣味」なのだ。

じゃ、また。
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by toproad3000 | 2005-07-27 14:14 | 競馬

合理主義

今週のNumberを読んだ。野球特集だった。中日の選手については1人も出てなかったが、印象に残ったのは皮肉にも嫌いな巨人の上原の記事だった。

内容は試合を通じていかにラクに投げるか?ラクに投げる事は悪い事じゃないし、三振を取る事がピッチングのすべてじゃないっていうようなことで、そういう姿勢を合理主義って書いていた。

この「合理主義」って言葉で思い浮かぶのが同じく嫌いな巨人の工藤である。今年42歳ながら速球の球速は145km出るらしく、オールスターでは城島にストレート勝負してホームランを打たれた工藤。あまりキャンプに来てなかった記者の質問に「いつも来てないでオレの状態が分かるのか?」って答えた工藤。このあたりからも彼の「プロ意識」ってのはうかがえる。

でも、それ以上に俺の印象に残ってるのが高校時代の工藤の話。どこで聞いたかは忘れちゃったけど。練習嫌いだった工藤は当時プロで活躍してた選手のピッチングフォームをまねたシャドーピッチングを繰り返してたらしい。42歳まで現役でいられるのだからそれなりに練習はしてたんだと思うけど、そういうやり方はらしいと言えばらしいような気がする。

ガツガツ練習するっていうのも分かるけれど、大切なのはどうやって練習するか?って部分だと思う。上原の考え方にしろ、工藤のやり方にしろ、一見すると手を抜いてるとか、サボってるって思われるかもしれないけれど、結果を残すためにいろいろ考えてると思うし、普通の人の努力とは違った方法論で努力してるってことだと思う。

目的は同じでも道は人によって違うってことだろうね。

じゃ、また。
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by toproad3000 | 2005-07-26 12:07 | スポーツ

間合いを測る

俺は「試験」において間合いを測ってきたように思う。どういうことか?って言うと、試験の合格ラインを読んで、それに合わせて過不足のないラインで勉強するってこと。

小学校時代、中学校時代は自分で言うのもなんだけど、それなりに成績は良かったと思う。それ故、そんなに間合いを計ってっていう意識はなかったと思う。

でも、高校に入ると同じレベルの人間が集まるから成績はよろしくなかった。周りが勉強面で努力してたってこともあったと思う。誰もが高校を卒業したら大学に行くっていう高校だったから。大学受験の時は日本史ばっかり勉強してた。それで受けた大学は全部受かった。

自分でいうのもどうなの?ってことだけど、勉強面、試験って面にに関して言えば自分なりにある程度は賢いと思ってる。試験の難しさにもよるが、教科書やテキストを自分が理解出来たっていうレベルまで読めば形になるくらいの点は取れると思う。中国留学(合宿)中に中国語の試験が2週間に1回、計8回あったんだけど、こういう感じのやり方で全て通ってきた。大学の単位もそうやって取ってきた。

そういう「間合いを測る」って部分の読みは大体当たってると思う。そういう部分があるから常に100%でやっていい点を取ろうって思ったこともない。「結果」ってことを考えれば60点の合格も100点の合格も変わんない訳だから。

公務員の試験に関してもそういう「読み」があった。自分の「賢さ」の部分で形になるだけの点は取れるだろう。そこから先の合格までの何点かはどれだけ自分が努力出来るかだって。最初に受けることを考えた時点でそういう形で受かる可能性っていうのを考えてた。

実際1年勉強して、結果はここに書いてきた通りだ。形になる点+少しの点は取れたと思うけど、ボーダーラインまでのあと3~4点が努力不足だったと思ってる。この3~4点が見た目には少しの差なんだけど、実際は努力がものをいう大差な気もする。

でも、自分の「間合いを測る」能力については結構正確だと思ってる。

じゃ、また。
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by toproad3000 | 2005-07-25 15:35 | 思考

尾張旭市職員採用試験 part3

尾張旭市職員採用試験を受けてきた。あまり出来なかった。これで公務員試験も一区切りだ。

来週からは気分を入れ替えて、自分の将来へ向けた新しい環境探しを始めたいと思う。

じゃ、また。
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by toproad3000 | 2005-07-24 14:47 | 出来事

安定志向

やっぱり何だかんだ言って俺は安定志向を持った人間なんだと思う。だからこそ安定の局地である公務員を目指したんだと思う。

俺の仕事観ってのは「食ってける、好きなことを出来るお金を稼ぐ」って感じで、決して「成功」だとか、「地位」だとか、「富」だとか、「名声」ってものは求めてない。世間的には「男ならそういうものを求めて働く」って意識があって、さらには「そういうものを求めない人間はだらしがない、情けない」みたいな風潮もあると思う。(少なくとも俺の周りにはあるような気がする)

でも、小さい女の子がよく言うような「私、お嫁さんになりたい」的な将来像があってもいいと思うのだ。周りに流されたり、惑わされたりして軸がブレてきたようにも思うのだけれども、やっぱり俺の理想の将来像ってのは、自分に合った嫁さんと子供2人くらいと平穏な家庭を築くってことのような気がする。別に仕事で名を上げたいとか、そういうものは強く思ってる訳でもないし、誰もがうらやむような綺麗な嫁さんがほしいって訳でもない。

俺にとって重要なのは「俺が好きなこと、興味があることを出来る時間とお金を確保出来るか」であり、「嫁さんとうまくやってけるか」であるような気がするのだ。

正直、今の状況から近未来に家庭を築くことは考えられない。だから、近未来の課題としては「いかに仕事と折り合いをつけて自分の時間を作れるか?」って部分になってくると思う。

世間から「小さいヤツだ」って言われたところで、それはそれで俺はそういう人間だししょうがない。いまさらそれを変えられないし、人生をリセット出来る訳でもない。世の中の女性が「デキる男」を追い求めて、俺は見向きもされないならそれでもしょうがない。それはそれでしょうがない。

なんか昔から悩んで、迷って、最終的には開き直るみたいなことを繰り返してきてる気がする。

もっと「自分の軸」ってのを強くもつ必要があるのかもしれないな。

じゃ、また。
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by toproad3000 | 2005-07-23 09:39 | 思考

爆勝宣言

a0021542_1046427.jpg今週のゴングを読んででなぜか思わず涙がこぼれそうになった。橋本の葬儀の記事を読んでて、出棺の時に赤の紙テープが飛び交い、前口上のあとに身長、体重がコールされて、『爆勝宣言』が流れたってことを知った時に。俺の頭の中にも『爆勝宣言』が流れた。やっぱり橋本に思い入れがあったってことだろうか?それとも橋本らしい送られ方に感動したんだろうか?

通夜、葬儀の参列者は一様に泣いていたり、暗い顔をしてたようだ。それに対して、橋本の「師匠」であり、憧れの人だった猪木はお骨になってから現地に現れ、終始笑顔で記者会見を受けていた。葬儀に間に合わなかったとことか、笑顔で語ったとことか、俺は勝手にそこに猪木らしさを見出してしまう。

「葬式なのに笑ってるのは不謹慎だ」って意見もあるだろうけど、俺は笑っててもいいと思う。そりゃ式の最中にずっとゲラゲラ笑ってるってのは場も読めなくてマズイとは思うけれど、故人との思い出を思い出してニヤリとする瞬間があってもいいと思うのだ。

人それぞれの故人の偲び方、送り方があってもいいと思うし、そういう儀式の間、形式とか雰囲気にとらわれすぎて常に暗い顔ばかりしてるのも俺の価値観から言うと違う気がする。もちろん生前の故人との関係によるけれど。

最後に、プロレス界としては利益とか団体間のしがらみを越えたところで、噂されてる武藤、蝶野、小川による追悼興行を是非やってほしい。名古屋でやるなら絶対に観に行くだろう。そうでなくても行ける範囲なら観に行くかもしれない。

じゃ、また。
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by toproad3000 | 2005-07-22 10:42 | プロレス、格闘技